ショーペンハウアーから見るヘーゲルの絶対精神

ヘーゲルに対して、その歴史観を正面から批判した18歳年下の哲学者がいました、それが、アルトゥール・ショーペンハウアーです。

 

ヘーゲルは「絶対精神を手に入れて自由になるプロセスが歴史である」と語っているが「そんなすんなりと歴史が進歩してきたことあるか」とショーペンハウアーは反論したのです。

 

歴史はヘーゲルが考えるように、絶対精神によって進歩しているのではない、歴史を動かしているのは、人間の盲目的な生への意志である、生存競争の争いが、歴史を動かしているだけなのだと、ショーペンハウアーは反論したのです。

 

  • 絶対精神とは、今は駄目でも、いずれ自体は好転するという史観です。人間の精神活動も弁証法(正・反・正反合の止揚)を繰り返しながら、階段を昇るように進歩していく。歴史も同じで、弁証法(正・反・正反合)の流れがあり、絶対精神へと上昇する流れの中で人間の自由が得られると考えた。
  • 弁証法とは、対立する物事から新しい見識を見つけ出す方法です。正・反・正反合という3つの要素を3段階に考えていくことで成立します、2つの対立する主張をどちらも否定することなく、両者を組み合わせた新しい主張として生かしていくという考え方になります。
  • 弁証法例え、①飛行機を運行したい『正』、②飛行機の運行は環境に悪い『反』、③環境に優しい燃料を使った飛行機を運行したい『正反合』

 

ショーペンハウアーは「誰も絶対精神なんて求めていない、だから歴史とは争いばかり、世の中って楽しいものではないよ」と厭世主義に彼の思想は傾いていきますでは、どうすればいいのかと、問えば、ショーペンハウアー「芸術の世界に逃げなさい」と答えるのでした。

 

「人間は人々と同調する意志と知性を持っている。それによって人間は、悲しみや苦しみを分け合うことができる、それがあるから人間は生きていけるのである」とショーペンハウアーは説いたのです。

 

ショーペンハウアーの「人間の盲信的は生への意志が歴史を動かしている」という考え方は、今日では多くの支持を集めています。ダーウィンの進化論(自然淘汰説)とも通底する考え方なのです。

 

『歴史が進んで物質文明は進歩したかもしれない、けれど人間がやってきたことは、殺し合いばかりである、ヘーゲルよ』『あなたが主張するように歴史が絶対精神を手に入れて自由になるプロセスだとはとても思えない』そのように考えたショーペンハウアーはペシミズム(厭世主義)の代表のように評価されがちだが、その本質にあるのは、ヘーゲル弁証法による進歩史観に対するアンチテーゼ『反』であろう。

 

ショーペンハウアーの哲学は、後世の多くの哲学者や芸術家に影響を与えています。

 

ショーペンハウアーベルリン大学哲学部の講師となったとき、哲学部の教授はヘーゲルだったのです。ヘーゲルのその雄弁で情熱的な講義は、学生たちを熱狂させていました。ショーペンハウアーは自分の最初の講義の日、数えるほどしか出席者がいない教室でめげることなく堂々とヘーゲル哲学を批判し、自説を展開していました。しかし反応は鈍く、その後も、彼の講義は話題にもならず、結局講師もやめ、在野の一哲学者として生涯を閉じました。

 

 

けれど、ショーペンハウアーの思想は、その死後に多くの人々に影響を与え続けています。哲学者のニーチェウィトゲンシュタイン、科学者のアインシュタイン精神分析学のフロイトなどがその代表です。一方で一世を風靡したヘーゲル哲学は現代においては、批判されることが多いようです。

 

ヘーゲルベルリン大学総長として死去しました。彼の遺言通り、敬愛していたフィヒテ墓所の隣に葬られました。惜しまれながらの死でした。そのおよそ30年後、ショーペンハウアーがフランクフルトで、独身のままひっそりと死去しました。

 

考える人である哲学者として、果たして2人のどちらが幸福だったのかなと、考えることがあります。

 

 

 

 

 

 

イマヌエル・カントの感性と悟性ってなに

人間の認識方法は感性と悟性のふたつで完成されるとカントは考えた。

 

感性とは、外界の刺激に応じて、何らかの印象を受け取る認識能力で、感覚と考えてもいいです。悟性とは、感性と共同して認識を行う能力で、その認識には感性と違って、理性は判断力が伴います。「understanding」すなわち理解力です。

 

人間は感性と悟性がふたつが一つになって、世界を認識するのだと考えました。ベーコン・ロック・ヒュームのイギリス経験論のように、人間は確かに白紙のままで生まれてくるのだけれど、動物との違いは悟性という能力を持って生まれてくることだと考えたのです。

 

この悟性は、デカルトの「生得観念」と似ているが少し違うのです。

 

カントは、まず、人間は経験に先立って、空間と時間を理解していると述べました。たとえば、ものごとには原因があって経験があるという因果律を理解する認識の仕方、朝が来たら夜が来る、というような。この悟性(後天的な経験)は人間に備わっているとカントは考えたのです。

 

人がものごとを認識するという行為は、感性と悟性の共同作業である。感性と悟性によって構成された認識の枠によって、人はものごとを認識するという、二重構造をカントは考えたのです。

 

人間は、ものごとを感性で認識すると同時に、悟性の枠に対象物を当てはめて、そのものごとを認識する、人は自分の感性と悟性で構成される認識の枠によって、対象を見ているに過ぎない、人が果たしてその対象の本当の姿を見ているという保証は、どこにあるのか。それゆえに人は、そのもの自体を見ているのではなく、認識の枠がとらえた現象を見ているのである。

 

すなわちカントは対象と現象は違うという、二元論に立ったのです。

 

人間は世界に存在している事物の真実の姿を、永遠に知ることは出来ない。人はその対象の現象を認識しているだけであるという理論だからです。

 

それまでの哲学の認識論では、対象をそのまま対象として認識し、それが真実の存在であると考えていました。ところがカントは、人間の認識の枠組みで対象の現象を認識しているだけで、その事物の真実の姿を見ることは不可能であると断言したのです。

 

 

 

 

 

ルターとローマ教会とプロテスタント

ローマ教会のシンボルでもある、サン・ピエトロ大聖堂の改築工事が資金不足で進まなくなり、ローマ教皇のレオ10世がドイツで贖宥状を売り出すことにした。(贖宥状とは、これを所有していれば、犯した罪の償いを軽減されるという、万能な赦免状のようなものです)

 

贖宥状が売り出されてから2年後に、ヴィッテンベルク大学の神学教授のマルティン・ルターが「贖宥状に対する95ヶ条の課題」を提出し、贖宥は神のみが可能であり、教会にはなしえぬことだと断言し。「人間の罪を身代わりになって宥すことができるのは、神のみである」と提言した。

 

聖職者たちの贅沢や堕落に対して問題を抱いていた庶民たちは、このルターの問題提起を契機として、ローマ教会を強く批判するようになっていきます。

 

これに対して熱心なローマ教会信者でもある、ハプスブルグ家のカール5世は、事態を重視し、ドイツ諸侯(江戸時代の大名みたいなもの)とルターを召喚しました。カール5世はルターに、教会を弾効するのをやめるよう迫りますが、ルターはそれを拒否しました。そこでカール5世はヴォルムス勅令を発して、ルターから帝国市民家を奪い、その著書の禁圧を命じた。

 

ルター派宗教改革に賛成する声は、日増しに強くなていき、ルターの聖書中心主義を超えて、過激な宗教改革者のトマス・ミュンツァーなども現れ、過重な税金廃止と農奴的負担の拒否を訴え、さらに領主の存在をも否定して、農民たちを決起させ、ドイツ農民戦争がドイツ中部から南部にかけて拡大していったのです。

 

ルターは、ローマ教会が聖書に書かれていないことを勝手にやることを激しく批判しました。ドイツ農民戦争に対しドイツ諸侯に鎮圧を呼びかけました。それにより、ドイツ農民戦争は弾圧されましたが、この戦争によってルター派の教えは全ドイツに拡散しました。

 

ルター派などの宗派は、ローマ教会を旧教と呼ぶのに対して新教と呼ばれたりします。これらの新教の宗派は一般には、プロテスタントと呼ばれている。

 

 

 

イスラム教とは

イスラム教は、ユダヤ教キリスト教と同じYHWE(ヤハウェ)を唯一神とする宗教です。そしてその唯一神アッラーという。最後の審判で救われた善人は天国へ、悪人は地獄にいくという教えです。

 

イスラム教の聖書は、コーランで、原義は「詠唱すべきもの」の意味で、コーランには、ムハンマドが神から託された言葉が書かれています。イスラム教におけるムハンマドの立場は、最後の預言者です。エスブッダは出家者だが、ムハンマドは商人であり市長であり軍人でもあった。

 

イスラム教の大きな特徴は、キリスト教や仏教のような専従者がいないことです。すなわち、教会や寺院を経営して、布教や冠婚葬祭を専門とする聖職者が存在しないのです。なので、八百屋の主人が聖職を兼業していて、必要なときは法衣を着てコーランを読み、儀式を進行させるのです。ですから、イスラム教では、聖職者の生活のために寄付をする必要がありません。

 

 

イスラム教の信仰の中心は「六信五行」と呼ばれる戒律です。

六信は、神・天使・啓典・預言者・来世・定命を信じることです

  • 神は、YHWHアッラー
  • 天使は、ムハンマドに神の予言を託したガブリエル
  • 啓典は、神の予言を記したコーラン
  • 預言者は、ムハンマド
  • 来世は、天国と地獄の存在を信じること
  • 定命は、人が救われるか滅びるかは、あらかじめ神が決めているという考え、だから、神の決定を信じて生きることを指す

この6つを信じることが信仰になり、信者に求められます。

 

 

それに加え、5つの行を実践することが求められます。信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼の五行です。

 

イスラム教は今日でも徹底して、偶像崇拝をさけています。ムハンマドを描くことは、厳禁されています。古来から、ムハンマドの伝記をかいた絵物語でも、彼の顔には白い布をかけたりして、顔を見せてはいけません。

 

それでは、ムスリムイスラム教を信仰している人々)は何を祈りの対象としているか、マッカにあるカアバ神殿の方向をキブラと呼び、その方向に向かって礼拝しますモスクでは、マッカの方向の壁面をアーチ型にくりぬいて、祈る方向を示しています。

 

ムハンマドがマディーナにいるときは、エルサレムの方向に向かって礼拝していました。エルサレムムハンマドが、天に昇る体験をした場所だからです。

 

ムハンマドがマッカのカアバ神殿が存在する方向を礼拝するよう定ました、その後、キブラに向かって世界中のムスリムが祈り、今日に至っています。

 

 

 

孟子の性善説・荀子の性悪説を簡単に言うと

性善説とは、人間はもともと立派な本性を持っているのだから、きちんと教育すればみんな主体的に努力するようになるという考え方、一方の性悪説は、人間はもともとそれほど賢くない存在なので、自分から学ぼうとしない、だから、社会システムや制度を使って半ば強制で学ばせるべきだという考え方です。

 

中国では人を、上人、中人、下人と、3分類して考えるようになる。文章を考察して文字を書くことが出来るのが上人、その文書を読むことが出来るのが中人、それ以外は読み書きの出来ない普通の人たち下人とわけた。

 

孟子は、自分と同じ上人を性善とした。もともと賢いのだから、自分で学べば十分だという意見です。

 

対して、孟子の後輩にあたる荀子は下人を対象として考えた。字の読めない人間に自助努力をせよと諭しても、やりようがないのだから、半ば強引に勉強させる仕組みを作れと、主張した。

 

これは、知識や良識を身につける手段を、個人の主体的な努力に任せるのか、社会システムや制度、仕組みとして確立すべきかという問題でもある。

 

性善説性悪説は、社会を構成する別々の階層の教育に言及したもので、2つの説に矛盾はない。むしろ、この2説を並立させたことが、儒家の思慮深いところである。

 

性悪説を唱える荀子は、社会の安定の基礎を法制度に置くという法家の思想に近いとも言える。法家を代表する思想家の韓非は、もともと荀子の弟子でもあった。

 

 

 

 

バラモン教とは

インドの宗教は、アーリア人の宗教であるバラモン教が中心だった。この宗教は、人々を4つの階層に分けた。いわゆるカースト制である。最上位をバラモンという。

 

高度成長によって豊かな人々が増加してくると、司祭者階級よりも商人や農民などの(有産階級)の力が強くなってくる彼らは財力を蓄えるとともに、自由な発想を持つようになる。

 

『農民(有産階級)が、使用人を使って牛に鋤くを引かせて田畑を耕していると、バラモンがやってきて、牛を連れていってしまう、これからお祭りをやるから牛を焼いて、神様に供養するのだと、反抗すれば、神様がお前の牛を欲しておられる。お前は神様に反抗するのか?』有産階級たちは、神様に反抗するのかと問われると反論の余地がなかった。

 

バラモン教の教えでは、人は死後、煙と共に空中に舞い上がり、祖霊の世界に達すると信じられていた。なので、バラモンたちは儀式や祭典があると、必ず大量の生贄を捧げる、主に牛を焼く。

 

そこに仏教徒ブッダマハーヴィーラが現れた。ブッダは「無益な殺生はするな」と教え、マハーヴィーラジャイナ教は「無条件の不殺生」を主張していた。この仏教徒の教えに、有産階級たちは飛びつき、バラモンが牛を持って行く時、「私は仏教徒です。動物を殺すことは私たちの教えでは禁じられている」と反論するようになる。

 

その結果、都市を追われる形となったバラモン教は地方へ移ることになる。この苦い経験からバラモン教も学び、インドの土俗的な宗教観を取り入れて、わかりやすく大衆的になり、そしてヒンドゥー教と呼ばれる、インドの大宗教に発展していくのです。

 

現代のインドでは牛が聖獣となっているのは、「牛を食べるな」の声があまりにも強かったので、ヒンドゥー教が発展してからも、牛を食べなくなったと言われている。

 

 

 

 

善悪二元論

ゾロアスター教最高神アフラ・マズダーで、彼が世界を創造したと言われている。世界には善い神のグループと悪い神のグループが存在し、いつも争っているとゾロアスター教は教えます。

 

苦しい日々が続くのは悪い神のアンラ・マンユが優勢な時で、楽しい日々が続くのは善い神のスプンタ・マンユが優勢な時とされている。やがて、善悪の神の争いが終わると、最高神アフラ・マズダーが行う最後の審判によって、生者も死者も含めて全人類の善悪が選別され、悪人は地獄に落ち、善人は永遠の命を授けられ天国で生きる日が来る、ザラスシュトラツァラトゥストラ)は説いた。

 

このようにザラスシュトラツァラトゥストラ)は時間を直線的にとらえ、善悪二元論を展開した。宗教の世界における善悪二元論は、この世を説明するときに強い説得力をもつ。

 

仮に、この世を一人の正義の神がつくったとすると、正義が世界中にあふれていることになり、悪い殺人鬼も存在しない理屈になる。清く正しく生きていれば、誰もが幸福になれるはずです。一神教を信じる人間は、現世に生きる苦しみをどのように考えればいいのか。

 

一神教が持つ矛盾(全能の神がなぜ現世の苦しみを解決できないのか)が、人間の思考を深くするという側面があるのかもしれない。その証拠に、アウグスティヌスをはじめとする後世の哲学者がこの問題に真剣に取り組んでいる。

 

しかし、宗教の教義という点から考えれば、善悪二元論は現世で生きる苦しみと来世との関係を、時間軸を挿入すりことでわかりやすく説明できるのだ。