孟子の性善説・荀子の性悪説を簡単に言うと

性善説とは、人間はもともと立派な本性を持っているのだから、きちんと教育すればみんな主体的に努力するようになるという考え方、一方の性悪説は、人間はもともとそれほど賢くない存在なので、自分から学ぼうとしない、だから、社会システムや制度を使って半ば強制で学ばせるべきだという考え方です。

 

中国では人を、上人、中人、下人と、3分類して考えるようになる。文章を考察して文字を書くことが出来るのが上人、その文書を読むことが出来るのが中人、それ以外は読み書きの出来ない普通の人たち下人とわけた。

 

孟子は、自分と同じ上人を性善とした。もともと賢いのだから、自分で学べば十分だという意見です。

 

対して、孟子の後輩にあたる荀子は下人を対象として考えた。字の読めない人間に自助努力をせよと諭しても、やりようがないのだから、半ば強引に勉強させる仕組みを作れと、主張した。

 

これは、知識や良識を身につける手段を、個人の主体的な努力に任せるのか、社会システムや制度、仕組みとして確立すべきかという問題でもある。

 

性善説性悪説は、社会を構成する別々の階層の教育に言及したもので、2つの説に矛盾はない。むしろ、この2説を並立させたことが、儒家の思慮深いところである。

 

性悪説を唱える荀子は、社会の安定の基礎を法制度に置くという法家の思想に近いとも言える。法家を代表する思想家の韓非は、もともと荀子の弟子でもあった。