努力信仰

努力信仰が日本の精神に蔓延るようになったのは明治時代です。

 

明治政府を作ったのは薩長出身の武士たちで、彼らは都会の江戸っ子に負けてはならない、欧米に負けてはならない、その焦燥感、その圧力よって努力信仰が生じてきました。

 

江戸時代は努力信仰が尊ばれる雰囲気ではありませんでした。江戸時代は遊びが尊ばれる時代でした。遊びというのはプラスの概念で、教養のある人で余裕のある人にしかできない高尚で粋なものだったです。

 

庶民の識字率も高く、浮世絵を買ったり、お芝居に行ったり、文化的にも豊かな時代でした。『宵越しの銭は持たない』という気風の良さにも端的にあらわれています。江戸では滅私奉公で、コツコツお金を貯めて何かするという事が格好の悪い事、気恥ずかしく、粋なことではなかったのです。

 

なぜ、遊びを高尚で粋なものと考えていた庶民が明治維新で変わったのか。

 

それは明治時代には他国と比べてまだまだ途上国という意識がありました、これが薩長の江戸っ子に馬鹿にされてはならないという焦燥感と結びつき、彼らに追いつかねばと元勲達こそが焦ったのです。そして、大衆もその流れに乗っていったのです。

 

マイナスの自己評価から始まって、そこを埋めるために努力努力で積み上げていき、真面目にコツコツと努力さえしていれば実を結ぶという信念は、もともと江戸にあった気風ではなく、薩摩や長州の人たちの考え方が支配的になったことで表れたものです。

 

努力は一定の成功をおさめました、ただ、その過程で失われてしまった遊びの豊かさや日本人らしい感性も、努力を重視しすぎたあまり貧困になってしまったことは否めません。

 

江戸から明治にかけてが一つの分水嶺でした。悪いことに、日清戦争日露戦争という自分達の実力以上の勝利をおさめてしまったという不幸な出来事によって、時代の空気が変わってしまったのです。

 

この時、盲目的に努力するという行為が美化されてしまいました。

 

アリとキリギリスの童話で言えば、キリギリス的な生き方が粋ではないか、という考え方が江戸にはありました。本来遊ぶということはとても高尚なことです、人間にしかできません。働くことや単純作業は機械ができますが、遊ぶということはとても難しいことなのです。

 

必要なもの以外にもリソースを割けるのが豊かで洗練されているの証拠なのです。