人間の環世界

ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは人間の環世界についても論じている。

 

素人にとって石はただの石ころである。しかし鉱物学者は何の価値もなさそうな石ころを熱心に眺め、分類する。同じ石でもまったく見え方が違う。なぜなら鉱物学者は鉱物学者の環世界を生きている。

 

レストランで流れているクラシック音楽食事をする者には単なる一つの音の続きとしてしか聞こえない。しかし、楽家ならすべてのパートの音楽や楽器を聞き分ける。なぜなら音楽家は音楽家の環世界を生きている。このような例は無数にあげることができる。

 

盲導犬から考える環世界間移動について、盲導犬を一人前に仕立て上げることの難しさはよく知られている。なぜ難しいかはその犬が生きる環世界の中に、盲人の利益になるシグナルを組み込まなければならないからである。要するに、その犬の環世界を変形し、人間の環世界に近づけなければならないのだ。

 

盲導犬は訓練を受けることで、犬の環世界から人間の環世界に近いものへと移動する。それは困難であるが、不可能ではない。こうして盲導犬は見事に環世界の移動を成し遂げる。

 

おそらく生物の進化の過程につてもここから考察を深めることができるはずである。ダーウィンカッコウの托卵、奴隷をつくるアリ、ミツバチの巣房などの驚くべき例をもって説明したように、生物は自らが生きる環境に適応すべく、その本能を変化させていく、対応できなければ死滅することもあるだろう。