ローマの共和政・ギリシアの民主政なぜ?

ローマもギリシアも小さな都市国家から始まり、ローマ人もギリシア人も部族集団であり、それほど差異はありませんでした。なぜ、ギリシアは民主政に向かい、ローマは共和政に向かったのか。

 

ローマでは「公」が重視され、ローマ人の部族集団では富裕層が貴族のような「氏族社会」を形成しており、その周りに有力者に依存する民衆がいたのです。ギリシアでは「個」が重視され、ギリシア人の部族集団は身分差が希薄な「村落社会」で、市民たちの間は平等であるという意識がはっきりしていました。

 

このように、ローマ人の格差のある氏族社会が共和政をもたらし、ギリシア人の平等な村落社会が民主政をもたらしたと言われています。

 

ローマの共和政が500年近く続いたのに対し、ギリシアの民主政は50年ほどで機能しなくなってしまいました。

 

民主政が機能しなくなった主な要因はポピュリズムと言われています。民主政を正しく機能させるために必要なのは、指導者が民衆を説得し、正しい方向に向かわせる事が民主政においては重要な意味を持ちます。

 

※ ポピュリズムは、民衆の支持のもとに体制と対決する政治姿勢を表す言葉です。負の側面では、民衆の利益や権利の保護、不安の解消を目指した結果、民衆感情に引きずられ、民衆の人気取りに走った状態になります。このことを「民主主義がポピュリズムに陥った」と表現したりします。

 

ギリシアアテナイの政治家で軍人のテミストクレスペリクレスが、民衆をうまく説得し導いていったのでギリシアの民主制はうまく機能することができました。しかし、彼らが亡くなると、民主政はポピュリズムへと変化してしまうのです。

 

ギリシアの哲学者のプラトンは民主制ではなく、賢者による独裁政がいいと主張しています。ローマの五賢帝時代がプラトン独裁制に近いとされています。アリストテレスは貴族制「共和政」がいいと主張しました。貴族というのは、教養と富を持っているので、公金を不正に使う可能性がないのが理由です。