ストア派の倫理学とは

ストア派倫理学ディオゲネスが唱えた「自然に従って生きよ」である。

 

自然に従って生きるとはどういうことなのか、これについてストア派は、人間の心の中で、何が善いとか悪いとか判断する理性を正しく働かせているのが最適の状態で、この状態のことを「徳」と呼んでいる。

 

徳というと、道徳とか孔孟思想とかを連想するかもしれないが、そういう徳ではない。ストア派によれば、正しく理性を働かせて行なった行為が徳のある行為で、たとえば、私たちは長命であること、健康であること、美しいこと、豊かな財産を所有していること、多くの人に評価され名声や名誉を得ること、権力を持っていることは、徳ではないという。

 

長命、健康、美貌、財産、名声はそれ自体として考えた場合に、善でも悪でもないのである。そうしたものは外部的な条件にすぎず、それらをどのように用いるのか、そしてそのためには理性を正しく働かせることが肝要なのだ。

 

ストア派によれば、正しく理性を働かせて徳を持った状態、この状態こそが「幸福」な状態ということになる。

 

そのためには、善を悪と見誤ってはならない。過誤を引き起こし、人の心に生じるさまざまな「情念」であるという。

 

情念とは、恐怖、欲望、快楽、苦痛などの感情を指している。たとえば、病気は辛いものであるが、ストア派によれば、健康それ事態として善ではないように、病気もそれ自体としては悪ではないことになる。健康も病気も身体が置かれた状態だからである。

 

そして、その病気に対して人間がどのような態度を取るかというところで善悪が分かれてくる。

 

恐怖や苦痛に苛まれるような状態をどのようにして克服するかが問題となる、そうした情念が克服された状態をストア派は「アパテイア」無情念という。

 

しかし、情念のない状態など、死なないかぎり得られるものではない、ストア派が言っているアパテイア、さまざまな情念に影響されないこと、動かされないことである。禅との違いは、禅は知を働かすということは悟りの妨げなると考えるが、ストア派の場合は、それは知を働かせることによって可能となることである。